at Miyajima my sister’s wedding

先月末、宮島の厳島神社で姉の結婚式でした。コロナ禍に結婚し、式はコロナが落ち着いてから。と保留だった式です。台風シーズンでヒヤヒヤしていましたが、良いお天気に恵まれ(暑すぎたけど)無事に終わりました。さすがの世界遺産の宮島。海外の観光客がたくさんいらっしゃいました。式は生演奏で厳かでした。

観光客からも拍手喝采。めずらしい厳島神社の結婚式を生で見て喜んでいらっしゃった。

山口の実家から宮島はそんなに遠くないけど、地元の駅が階段だったり、船の上り下りの階段を重い荷物を持って移動するのは大変だったね。親切な人に荷物を持ってもらったと言っていた。人の優しさに触れた話を聞くとこちらまで嬉しくなった。ここまで来るの大変だったけど、良かった良かった!

姉の髪飾りのランの花が素敵だった。人生のビックイベントの準備やら色々お疲れ。母の背中は丸くなり、小さくなっちゃった。前を歩く私の背中はたくましくて申し訳ない!

5重の塔をバックに母と姉の2ショットを撮影するうれしそうな父を撮影する私。

「ええかね。とっちゃげる、こっち向きんさい。」と言って、私を撮影しようとする母をとっちゃげる私。後ろで心配そうに父が母を見てる。仲良し夫婦だ(笑)

式も無事に終わって、ホッとする父。

親戚が増えました。美人でしっかりした姪っ子ちゃん。

良い式でした。新郎のお母さま90歳、はるばる北海道から宮島までかけつけてくれました。妹さんもありがとうございました。

はい。出番ですよ。お食事会では亀吉くんがウクレレ持参でBGMと父の歌の伴奏しました。

お得意のラブミーテンダーを歌う父。私も父の後ろでサポートとコーラスをしています。(うつっていませんが、、、。)

父の姉達も新しい家族との食事会を天国から見守ってくれました。私達姉妹は本当にお世話になった。喜んでくれているはずです!

和やかな食事会の後、テラスに出て海をバックに記念写真。

大変お疲れ様でした。両親もダイアモンド婚。おめでとう。仲良しのひけつは今度ゆっくり教えてもらおうっと。

結婚式が終わって、翌日の朝の散歩で。シカくんは堂々と道路を歩いていた。

10回ぐらい来たことのある宮島だけど、泊まったのは3回目。島の朝の散歩は気持ち良いね。それにしても、、、、、新郎様は、私が高校生の頃から知っている人。あの頃は彼も20代だったけど今は60代。そういう私も50代。まさか、この方と姉が結婚するとは!びっくりしました。コロナで人の考え方も行動も変わったんですね。コロナ婚ですね。みんな色々あって色々色々頑張って来たんだよね。人生色々あって不思議だなぁー。と、しみじみしたりんちゃん、宮島の朝。の図。なーんて、ほんとは、潮が満ちていて近くに寄って来て藻をつついている魚を眺めている。

私と姉はこの後は、山口の実家へ。新郎様のご家族は萩の観光へと別行動。亀吉くんはルーちゃんを迎えに行かなくては行けないから東京へ。ウクレレ演奏ナイスでした。

次回は弥山に必ず登るぞ!宮島、いいね。

Suzuki family’s recent days

父の食道がんの手術も上手くいき、退院後の検診も問題なく、ひと安心しました。普通の生活に戻れるのと、もう何でも食べてもいいですよ。と、言われたことを喜んでいた。

父が入院している間、毎日1枚の写真を送った。字は読みたくないだろうから、写真がいいかな?と。一番うけていたのは、ルーちゃんのこのとぼけた写真。「おじいちゃん、早く元気になってね!」。と、タイトルをつけて送った。ルーちゃんのこの姿にはげまされたようだった。

実家の食生活は野菜と魚が中心。自家製の野菜。私が小さい頃から、肉はほとんど食卓に並ばなかった。そんなヘルシーな食事をしていても、食道癌が出来てしまうんだな。煙草も吸わないです。実は、母も胃カメラの再検査があり、ちょっとビビっていたけど、問題なくてホっとした。丈夫な母だけど、最近は背中が丸くなっておばあさんっぽくなった。母には絶対元気でいてもらいたい。

親を見つめながら、人間はこうやって年をとっていくんだな。と、感じます。夫の両親と私の両親4人の80代(半ば過ぎ)。だんだん忘れっぽくなってきたり、寂しがってみたり、子供っぽくなってみたり。痛いところも増えて、不自由な生活になってるみたいだけど。頑張れー。出来るだけ今までよりも電話の回数を増やしたり、会いに帰ったりしたいと思ってます。

さて、次のビッグイベントは姉の結婚式!(爆)また両親に会います。母は式の前に着付けやヘアメイクを頼んでいて張り切っている様子。私に「何を着るのか?」と、何度も聞いてきます。そうねえ、そろそろ支度をしないと。最近買ったもの、、、、、。水着を3着。

姉の結婚式から、実家に帰省し、両親のダイアモンド婚のお祝いで二人の想い出の温泉旅館に連れて行く予定でしたが、父親の体調が心配なので、いったんキャンセル。というわけで、娘の手料理、お掃除付き。肩もみチケット付き。に変更になりました。あとは、台風が来ないことを祈るばかりです!昨日みたいなゲリラ豪雨もやめて欲しい。

ルーちゃん。とぼけた顔が可愛い!玄関でチェックするなよ。

snorkeling with my father

実家帰省2023夏の最終回です。5泊6日の帰省のうち、2日は台風の影響で海に行けませんでした。あとは帰る当日までたっぷり海を楽しみました。その中で1日だけ、85才の父と岩場でシュノーケリングをしました。岩場では、こちらではギザミと呼んでいますが(ベラの仲間?)カラフルな色の魚をたくさんと、ウニも見れました。素潜り名人だった父ですが、13年前に扁桃癌の手術をしてからは、弱気になり、船を手放し海に行かなくなりました。漁師がうるさくなって潜るのもやめたと言っていました。今回の帰省で私が、ビーチじゃなくて、岩場でシュノーケリングをしたいけど、どこがいい?て、聞いたら、父がノリノリになって探してくれた。で、自分のシュノーケルと水中メガネと、救助用の浮き輪も購入。海に行きたかったんだね。(笑)

昔、一緒に潜った場所は船がないので、行かれません。そこで、リサーチ。車を停めやすく、磯まで降りて行く階段がある場所を探しておいてくれた。波もなく、入水しやすそうな岩場。シュノーケリングツアーのコーディネートとガイドさんが出来そうだね。

新しい水中メガネとシュノーケルでご満悦。明日、頑張るぞー。

この打ち上げられている海藻は、ヒジキかなぁ。て父に聞いたら、「こりゃあ、食べられん。ホンダワラじゃ。」と。海のことは良く知っている。私、足ヒレ装着。準備OK。

1回上がって、おやつタイム。ジリジリ焼ける。もう一回潜るぞー。

楽しそうな顔!父、潜って石をひっくり返そうと思ったら、手が届かず、プカーン。と、浮かんできた。息継ぎもせず、もう一回、それー。って潜る父。昔は長く息を止められることを自慢してたからね。(笑)首や肩にいっぱいシミやほくろがあるのは、海の男の証。

クロールしたり、お尻をプイっと上げて、さかさまに潜っていく85才の父を見て、「おーい、父よ、大丈夫かー?」と心配しましたが、さすが、海の男。プカプカ水面で、両手を広げて手のひらでスカーリングしながら魚を見てる。

実は、父は、食道癌が見つかり、今月末に手術します。今回の素潜りは、入院前の父との貴重な想い出となりました!一緒に泳ぐのも久々だったけど、これが最後のシュノーケリングだな。って思っていたら、、、、。

父。「今度は足ヒレを買おう。」、、、あらら。やる気が出ちゃった?

海はいいね。楽しいね。どうして誰も泳いでないのか不思議。海水浴場には人がいるのかな?でも私は岩場派。海の生き物を見て楽しかった。来年の夏、また潜ろうっと。見るだけ、見るだけ。

遊んでばかりの記事になったけど、病院に行って先生の話を聞いたり、法事や、家のこともやりました。また帰った時に、冷蔵庫のお掃除をやりたいんだが、(冷蔵庫、冷凍庫がたくさんあるのよね。)うーん、母がやらせてくれるかどうか、、、。母、手ごわし。猫くんたちも元気でにゃ。(実家帰省2023夏、最終回)

実家帰省ブログ2023夏

MY SWEET HOMETOWN-3

台風6号の前のタイミングで実家に帰省。5泊。こんなに長く実家で夏を過ごしたことがなくて、色々な用事もあったけど、ちょこっと散歩したり海で泳いだり、シュノーケリングしたり。親戚宅におじゃましたり。楽しかった。暑くても海に入るから大丈夫。太陽ギラギラでも日焼けを気にしない。海に行きすぎ?

父が「ここが泳ぎやすいんじゃない?」と言って連れていってくれた場所。室積海水浴場の端っこで、海の見えるところに車が停められる。父は私がおぼれた時に助けるために、前回は救助用のロープを持って浜で仁王立ちになっていたが、、、。疲れたのだろう。今回は車に乗って監視。悪いわねー。一緒に泳げば良いのだけど、魚がいなそうなところで泳いでもつまんないんだって。一応、救助用のロープは浜に準備してある。車からラジオが大ボリューム。泳ぎながら音楽が聴ける。海はだれもいません。ここもプライベートビーチだ!水泳の練習しよっと。って。バタフライの練習してたら、父が車から私のフォームをチェックしてたようで、後でダメ出し。「バタフライのキックの膝が曲がりすぎ。」って。(笑)

お水はキレイだけど、魚はゼロ。1時間ぐらい遊んでそろそろ、帰ろうかな。と、思ったら、遠くの方から、アナウンスが聞こえてきた。

「本日はー悪天候のためー海にはー入らないでくださいー。すぐに上がって下さいー。」って。めっちゃエコーがかかった放送。周りを見たら、誰もいない。海に入ってる人、あ、私のことね。(笑)台風6号の影響で風は少し。良い天気だったから海に行きたくなるじゃん。波もほとんどなく、プールのように泳ぎやすかったんですけど。悪天候??ほんと?最高でした。 

向こうの山は峨眉山。(がびざん)よく遊んだ山です。弘法大師様に縁のある場所。今回の帰省では峨眉山も行きたかったけど母に猛反対された。蜂がいるし、草が伸びあげちょる。いけん。危ない。って。確かにうっそうとして1人で歩くのはちょっと怖い。歩く人、ゼロ。あの山の裏側が鈴木父の素潜りポイント。よく船で連れて行ってもらった。歩いて山を越えてクサフグの産卵場所にも行けます。クサフグの稚魚はそこらで見れます。食べない。見るだけ。

夕焼けが美しい、家の前の浜です。この風景を見ながら育ったけど、その時は当たり前だったけど、贅沢ですね。さすがお爺ちゃんが移住したくなるわけだ!(1937年に祖父が土木技師の仕事でこの地に来て気に入って移住。家族を新潟から連れてきたんだって。父は新潟生まれだよ。鈴木ヒストリー)

このしゃれた壁の道を通って小学校・中学校に通った。

この場所は、「対面の松」と呼ばれています。強そうな亀の記念碑。亀?龍?顔がししまい。

前から見ると顔がちょっと夫に似てる。なるほど、普賢菩薩に対面したと場所がここなのね。遊女から夢のお告げがあって、海から引き揚げて対面。って、なんかドラマチックじゃの。家のすぐ近所。(つづく、、、、次が本当に最終回)

普賢縁起によれば、兵庫県書写山円教寺の性空上人が生身の普賢菩薩を見たいと祈願したところ、遊女から夢のお告げがあり、ここ室積で漁人が海中から網で引き上げた普賢菩薩に対面したという遊女と性空上人の物語が生まれました。性空上人が普賢菩薩に対面した場所を後世に伝えるため、記念碑(朝鮮様式で、碑文は萩明倫館の塾頭の作)が建立してあります。(光市HPより)

実家帰省2023のブログ

MY SWEET HOMETOWN-2

実家帰省ブログの続きです。記憶が薄れないうちに書きます。先日の台風6号の前のタイミングで帰省しました。(もう東京に戻っています)前回のブログはこちら。

父・母と私の3人で鈴木家のお墓の掃除をし、おじいちゃんの好きだった北向き地蔵もお参りし、普賢寺参拝。その後、象鼻が崎へ。父が昔住んでいた場所(今は駐車場)に行ってみることに!

まずは普賢寺から。学校に行くのに、毎日このお寺の前を通っていた。仁王様、おはようございます。「雪舟の庭」があり、そこで遊んで怒られたことも!ちなみに私の誕生日は普賢祭りの日だ。ご縁を感じていた、、、。

白い象の像だぞう。なんつって。

お寺の鐘の屋根の上に何か発見。よく見ると「アオサギ」でした。これは、すごい。偶然見ると縁起が良いのだそうです。やったね!3人でバッチリ見ましたよ。

普賢寺の門に向かって伸びている波止場の対になっている灯篭。お寺だけど海の神様のように感じる。室積は昔は北前船が来て栄えていた海の町。父が何かを一生懸命説明してくれたけど、すっかり忘れた。(笑)

↓鈴木家は、ここの忠魂碑下に住んでいたそうです。今は駐車場。昔はどなたかの別荘があってそこを借りて住んでいたのだそうです。↓忠魂碑→出兵し戦士した光市周辺地域出身の兵士の記念のための記念碑。って書いて、気が付いた。今日は8月15日終戦記念日だった。(写真・光市HPより)

グーグルマップの「赤いマーク」のところが忠魂碑の場所です。

「わしは、昔、ここに住んでおったんじゃぞ。骨はあの岩の向こうに撒いてくれー。(父)」いやいや、まだまだ元気でよろしく頼みます。

ボス猫が木の上で昼寝。今はここはおいらのなわばりニャン。

想い出の場所は今は猫さん達の憩いの場所となっています。

御手洗湾。私も子供のころはここでも父と素潜り。タコがいたよ。急に深くなるので、ご注意ね。おてあらいと書いて「みたらいわん」だよ。

弘法大師さまが御手洗湾を見つめています。(室積灯台の裏にお寺あり)植物が育ちすぎ。ここまで剪定に来るのも大変だからね。と言っていました。確かに、、、。(ブログ最終回につづく)

光市のHPより。自然満喫コース(象鼻ケ岬)

そういえば、「ひかりのうた」というオリジナル曲作りました。歌詞に光の名所をちりばめてみた!鳴かず飛ばず!(笑)(2007年 鈴木リエ時代)

ひかりのうたラブレターズ

My Sweet hometown-1

実家に帰りました。お盆前の台風の来そうな時だけど、ギリギリ大丈夫。夏に実家に帰るのは久しぶり。初日から海に行きました。家から海まで歩いて1分。バスタオルをクルっと巻いて直行します。今回は海で泳ぐ気満々で、シュノーケル、水中メガネ、足ヒレを持参。5泊しました。父の病院の付き添いや法事、家の片付け、掃除。台風で、あっという間でした。台風で波と風があった日を除き、海で泳ぎました。泳ぐというか、魚チェック。ニモいるかな?

海から帰ったら、すぐに水洗い。また明日。昨年は1回しか使用しなかった足ヒレ。

ここが私のプライベートビーチです。」そんな感じ。誰も泳いでいない海。私が泳いでると、父が浜でロープの準備をしていました。どうやら私が溺れたら助ける気だったらしい。救助のロープ。(笑)父が転んで私が救助することになりそうじゃん。光の海は穏やか。波もなく静かだった。鈴木、25年ぶりに光の海で泳ぐ。

近所の空き家とキョウチクトウ。巨大化している。草やツタも伸び放題。

海からあがってシャワーを浴びて、実家近所の短い波止場までお散歩。上から魚を探しながら歩く。クサフグやボラ、キスの稚魚を発見。水も透明。そういえば潜ってる時にアナゴとトビエイに遭遇しました。海は楽しい!

子供のころ、世界の海の端っこはココだと思っていた。(←バカ)

テトラポットの周辺は、シュノーケルスポットです。貝殻が散らかっているところには、タコがいる。やっぱり足ヒレがあるとスイスイ進むしラクチンだ。

名前も知らないけど、波止場の入り口に咲いている可愛いお花。「おまえは誰じゃ?」(まんたろう風に)

7,8分ほどで波止場に到着。(ちかっ)かつてこの手前のスペースに、鈴木家の小舟(太郎丸)が停泊してました。釣りや素潜りに出かけます。父の大切な船でした。(今はもう手放した)この波止場は家族の想い出の場所。夕方は台風の影響で風が出てきた。

そうそう、あの平べったい岩に足をかけて、船に飛び移った。下には小魚の群れ。鈴木、しばし座って子供の頃を想い出す。父は漁師ではありませんが、確かに海の男だったね。色んな海でのエピソードが、、。(ブログじゃ言えない)

帰り路。すっかり暗くなりました。こんな夕暮れを見ながらこの土地で育ったんだなぁ。しみじみ。夕暮れは歌が出来そうだよ。(つづく)

追記。あったあった。かつての父の船、「太郎丸」の写真を私のアルバムDesafinadoのPVに使っていることを思い出して探しました。My little Boat(小舟)って曲ね。これに乗って釣りや素潜りダイブ。

My son got married!

私事ですが、先月息子っちが結婚(入籍)しました。良い方とご縁があって、本当に良かった。嬉しい。嬉しい。結婚するよ。って、去年の10月頃に聞いていたけど、入籍は6月。美人の彼女だから入籍までの間に大どんでん返しのドラマがあって、誰かに取られちゃったらどうしよう。とか、母は想像力が豊かになりすぎてました。いらぬ心配。本当にうれしい。結婚おめでとう。お幸せに。

それで昨日、ささやかなお祝いを持って、息子っち宅へ初めておじゃましました。共働きだから、掃除したり気を使うし、嫌じゃないかな?、どこかお店でもいいよ。と思ったけど、「富士山が家の窓からも見えるよ。家にくれば?」と言ってくれた。可愛いやつめ。くぅー!

コンパクトなスペース、キチンと整った部屋。無駄なものは持たない、大好きなゲームをするためのPCセットはあった。(笑)私が実家の物置部屋から救出したピカチュウのぬいぐるみも飾ってあった。なんだか微笑ましい。二人は結婚式はやらないって。ちょっと残念。でもWedding photoは絶対撮ってほしい。だってあんなに可愛い嫁。美人妻。息子は幸せものだ。母も幸せだ。楽しみに待ってよーっと。

で、しばしお茶飲みながら、お互いの近況報告など。その後、途中まで3人で一緒に中央線で電車移動。

荻窪、阿佐ヶ谷、高円寺、中野のあたりを懐かしく眺めながら(昔、息子っちと暮らしてたエリアだから)あぁ、そういえば、中野の体操教室に通ってたね。とか、ここの塾に通っていたね。なんて、こっちは懐かしく思い出して息子に話すも、「え?そうなの?そうなの?」って、、。なんも覚えてない(笑)色んな習い事をやらされて、嫌だったらしい。嫌な出来事の記憶は消えるんだね。幼稚園の時、サッカー教室に通ってた時は、背が高いから、ゴールキーパーにさせられたけど、ボールが怖くて逃げ回ってたじゃん。って、お嫁ちゃんに大笑いされてた。( ̄∇ ̄;) 息子っちとの昔の楽しいことを色々思い出して、昨日は笑いすぎてお腹が痛いです。息子っちは冷や汗だったかもね。お嫁ちゃん、花火大会、誘ってくれてありがとう。行かれないけど、誘ってくれて嬉しかった。

今度一緒に泳ごう!(なんでや。)可愛い嫁めー。家族が増えたみたいで嬉しいぞ!

Happy Birthday!

今日は息子っちの誕生日でした。おめでとうメールを送ったら、「33歳になっちゃったよー。」と、返事が来ました。げっ!そんなになるのか。(知っていたけど、2度びっくり)ということは、あの分娩台から33年か。1人で破水し、1人でタクシーに乗り、1人で病院に行った。「ヒッヒッフー、ヒッヒッフー」と呼吸してる私の出産シーンを看護婦さんにカセットテープに録音され、「やめてくれぇ。録音は、、、」と、分娩台の上で思ったあの日から、もうそんなに月日が経つのか。

早い。そして、ちょっと物思いにふけってみる。「可愛い子には旅をさせろ。」というけれど、息子には旅をさせすぎた。すまぬ。

さて、そんな息子も独立し(最初からヤツは独立していたが、)今年は結婚の年。嬉しいねぇ。彼女が美人すぎて、「ちょっとアンタ騙されてんじゃないの?」って母は心配していました(笑)まだ私、おばあちゃんになりたくないから、二人の時間を楽しんで欲しいなぁー。

Respect for the Aged Day

アイキャッチの写真は、実家の家の近くの畑で作業をする父と去年他界した2番目の叔母。

台風が近づいて来てソワソワしている鈴木です。3連休。そういえば、何の日だったかな?「敬老の日」ですね。英語ではRespect for the Aged Dayというのだそうです。

山口の80代の両親は、今、広島の叔母93歳(父の姉)の病院へ色々な手続きやらお世話をしに行っています。叔母は結婚していたけど、旦那さんが早くに他界し子供もいなかったので、兄弟で一番年下の父がお世話係をすることになりました。台風が去ってしばらくは両親は広島に滞在することになりそうです。

去年の秋には、父の2番目の姉で、一緒に暮らしていた叔母が他界。その時も、老々介護を頑張っていたんだよ。広島の叔母は3番目の姉になります。容体はあまりよくないようです。今、緩和ケアの出来る病院を探しているようです。とりあえず2週間は今の病院でお世話になるようですが、、、。病院側も一生けん命に探してくれているみたい。

良いところが見つかるといいなぁ。厳しい叔母ちゃんだったけど、私は好きでした。病院で看護婦長を長年やっていて、頼もしい叔母でした。今思うと、父の姉達はみんな手に職を持っていて自立してる。祖父母の教育方針「女も自立する」だった。タイミングを見て、もし会いに行くことが許されるなら、行きたいです。

両親どのも、さぞやお疲れでしょう。こういう時、近くにいないというのは、申し訳ない!です。父は12年前、扁桃腺のガンの手術を受け再発なく克服。しかしここ数年は前立線ガンが見つかり治療を受けながら、のんびり畑作業をしている。母は元気だけど、最近は時々めまいやフラツキもあるみたいで、「年だねぇー。」と自分で言っている。畑の草ひきでアカギレの手にばい菌が入って、「ほーら、こんなに指が腫れたよ」と写真を送ってくる。今だに事務のバイトをしていて、紙を触るので手がガサガサ。少し休憩して欲しい。

特に母は鈴木家の本家に嫁いで来てるので、父の両親や同居の叔母の世話や介護もあり、大変だった。叔母も気が強い人だったからね。両親、リスペクトです。

今度会ったら肩モミモミするね♥

3番目の叔母も光の鈴木家の墓に入りたいと言っている。もちろんOK 。将来の墓守は姉。姉は子供なし。はて、その先は?と、ふと考えてみる、敬老の日でした。(敬老の日は19日でした)

10年ぐらい前の写真。私と両親。山口・光でのライブ会場で。
昔の写真(防府天満宮参拝)
左から、母、私(小学4年か5年?)祖母、3番目の叔母
その後ろ、別の叔母、一番後ろの帽子は父、2番目の叔母。カメラマン祖父
2番目の叔母、祖母、いとこアッコ、私、後ろは3番目の叔母、いとこタツオ。光にて。

久しぶりの帰省

私の実家の山口と夫の実家のある四国へ犬連れで車の旅をしてきました。
私の両親、夫の両親とも高齢になり、大変ながらも頑張ってくれている。
ありがたいことです。
4名全員ぎりぎり元気な80代。
まあ、色々痛いところとか、具合の悪いところはそれぞれ出てきてますが。
私の両親は去年のクリスマスコンサートの会場に来てくれたので、その時以来。
夫の両親とは、2年半ぶりの再会となりました。
コロナで心細くなった義母。もう会えないのでは??と、時々電話で口走っていた。
このタイミングで帰らないと、たぶんしばらく帰れないと思い、
「エイヤー」っと帰省しました。
夫の父が高齢になり、2年前に車の免許を返上して不自由な生活をしてるので、
お買い物の用事や、病院、行きたかったお寺、昔住んでいたところ、を先に聞いておいて、言われたところは全部行ったぞ!
午前中が勝負ですから。(年寄りは午後からは疲れるので、午前中に行動する!)鈴木の父も来年は免許の更新だそう、「大丈夫かな?目が悪くなってるから、、」と言っていた。無理しないで欲しい。
母も身長が10センチぐらい縮んだみたい。「背中が痛い、痛い」って言ってた。働き物だし、料理が好きだから、下を向く動作が多いからかな?
高知では、包括センターへも出かけて、2年半前に色々とお世話になった担当の方に近況を伝える。
「母が父と二人で入れるところがあれば入りたい」と言ってたことを伝えると、「二人ともまだまだ元気だから入れるところはないですよー。」と、すごく明るく言われ、何か嬉しくなった。そうだよ。まだまだ元気なんだよ。足で歩けるし、トイレも行けるし、ご飯も作れるんじゃん。頑張れ、頑張れ。
今度はいつ帰れるかな?
すぐにかけつけてあげられないので、せめて電話はもっと頻繁にしよう。
だんだん、年老いて小さくなっていく親を見ながら、自分もいつかはそうなるんだなぁ。とちょっと想像する。
そういう時に、やっぱり可愛いおばあちゃんでいたいなぁ。と、思うりんちゃんであった。

それにしても田舎の夜は早い。真っ暗。
やることなくて寝るのが早すぎた!
起きていることが罪のように感じたのはなぜ?
義母は17時に夕食、20時にご就寝!
早い、早すぎる。

2週間近く家とスタジオを留守にして、東京に帰ったら真夏でした。
植物が枯れてショック!梅雨だから大丈夫だと思ったのが、甘かった。

僕は旅犬。車中泊も初体験。狭かったぞー。(なんだ、その顔!)

母ちゃんの実家は、海の近くなのだ。僕とパパさんはいつもセット!

僕は、おじいちゃんと遊んであげたのだ。

瀬戸大橋を渡って、四国にイーン。与島にて。

高知だよ。父ちゃんの実家は山の中。僕は、高知じいちゃんも守るのだ。忙しいのだ。

そして、僕はパパさんを監督しているのだ。目が離せないのだ。

こちらは、高知の実家の近く、大豊(おおとよ)。美空ひばりが、子供の時、「私は日本一の歌手になります」と誓った大杉神社の大杉さま。本当にものすごく立派な杉の木です!ここは屋久島か。

故郷クリスマスコンサート♪

今年になってなんて早いのでしょう?ちょっと前まで正月だったのに、もう27日?遅くなりましたが、12月25日に山口(光市民ホール)で行ったクリスマスコンサートの記事書きます。写真整理しました。動画や写真を見てひとりニヤニヤしていました。それにしてもあの時は本当に感染者が少なくてコンサートが実現できてラッキーだったな。もうクリスマスが懐かしい。早く今年のクリスマスが来ないかな。

Member 続木徹(p/key)佐津間純(g)上田隆志(b)金子正則(ds) 鈴木輪(vo)

1セット目はクリスマスカラーの赤のドレスで登場!

クリスマスアルバム「ウィンターワンダーランド」は続木徹さんのサウンドプロデュース。今回はじめてやる曲ばかりでドキドキ!

歌詞はバッチリ!ホッとしたー。

2セット目はゴールドの衣裳にチェンジ!私って本当にゴールドが大好き!

そして、2セット目は佐津間くんと上田さんにトナカイになってもらった。

似合ってる。最初から生えてたみたいだ。

上田さんも。

照明さんが頑張って色々な色を考えてくれてました。

今回ライブ配信ありました。良い経験。司会は原田かおりさん、MCのことを考えなくて良かったから安心でした。(MC苦手だからね、、、、)

山口でのコンサートの時は音響は西田さん。今回は息子ちゃんが頑張ってくれました。月日の経つのが早くて恐ろしいー。

おまけ↓両親と。コンサート終わってロビーで。

いつの間にか背が低くなって小さくなった母。お友達をコンサートにたくさん呼んでくれた。ジャズが好きな父もご機嫌だった。元気でいてくれてありがたい。ちょっと親孝行出来たのかなぁー。故郷で歌ってエネルギーチャージしました。歌うと元気になるぅー。(コロナだから大きな声では言えないね。)

1月14日 瀬戸内タイムスに記事が掲載されました♪

お別れでした。

ひかりのうたラブレターズ

瀬戸内寂聴さんが逝去された。99歳。そのちょっと前に実家で一緒に暮らしていた叔母が亡くなった。94歳。大往生です。大往生だが、やはり寂しい。叔母は本をよく読む人で本棚に本がたくさんあり、その中に瀬戸内寂聴さん、出家前だから瀬戸内晴美さんの本があった。「ひとりでも生きられる」という本。

叔母は離婚して出戻りで独身。この本は叔母のバイブル?と、高校生の私はドキドキして叔母ちゃんの本をチラ読みしたものです。その叔母も寂聴さんみたいにちょっと悟りを開いてる人。何でも相談したし、たくさんケンカもしたし怒られもした。親より厳しかった。まだ亡くなって間もないので、その辺でフワフワしてるのかなぁー。

困ったことがあったらまずは叔母に相談する。いつも、ズバズバと適格な回答。健康の事、お金のこと、仕事の事、人生相談は大得意。ただ私が離婚すると騒いでた時は、子供の事を考えて我慢しなさい。と、言われた。そして、その次に言われた言葉は忘れられない。「女が1人で生きていくことは大変なこと。あんたには子供もいるんだから我慢だ。日本という国はね、男の社会なの!我慢して大人しくしなさい。」と。瀬戸内寂聴さんみたいに、叔母の人生もいばらの道だった。でも私も口答え。「そういう叔母ちゃんだって、離婚したじゃん。そういう見本が目の前にいるんだから私は言うことを聞かん!」と。私。「そうじゃね。私も人の言うことを聞けんかったけえ。」と二人で大笑い。

ここ数年は施設に入っていた。去年の1月コロナがまだ拡大する前に会ったのが最後になった。その時もベッドの横に一緒に並んで座って、仕事の話をし、子供の話をし、私や夫の両親を気遣い、こういう施設もいいもんだよ。ただお酒が飲みたいなぁー。って。朝からプシューってやりたいんよー。お天道さん見ながらお爺ちゃんにおはよう。って言いながら叔母ちゃんは一杯やりたいんよ。って。本当にビールが好きだったから、、、。今ごろ天国で乾杯してるのかなぁー。

若い頃看護婦をして結核に感染してしまい、30歳までは生きられないだろう。と、言われてた叔母。94歳まで立派に生きました。叔母ちゃんのアルバムにいっぱいロマンチックな書き込みもチラっと見たけど、若い頃はモテモテだったらしいけど、初めて見るような素敵な写真もあったりして、本当だったんだね。

ただ遺影の写真が気に入らない。叔母もきっとそう思ってる。顔から下は葬儀屋さんのやり方で(今はみんなそうなのか?)合成写真で下は見たこともないような地味な着物を着てた。

叔母ちゃんはキャリアウーマンだからシャツをパリっと着ているイメージしかないから、父のセレクト間違ってた。どう見ても「菅井きん」だったね。「婿どの。」ってい言いそう。アハハ。

さすがに遺影はアップ出来ないので、、、故郷を思って作ったオリジナル曲「ひかりのうた」のジャケをアップします。叔母の部屋を掃除しに行ったら、このアルバムが飾ってあった。叔母ちゃんは、光が大好きじゃけーね。と、言ってた。聴いてくれてたのかなぁー?

ひかりのうたラブレターズ

ニューアルバム「ディサフィナ―ド」を聴いた、80代の両親の反応は?

先日より私のニューアルバムのサンプルCDをあちこちに送ったりしております。実家にも送りました。両親とも音楽好きな80代夫婦。

2、3日前の話ですが、父から電話がかかってきました。

父「CD聴いたよ。」

私「どうだった?」

父「あののー、(あのねぇ)お父さんが一番好きなんは、「明るい表通りで」っちゅうやつ。あれがええ。のるのぅ。(のるねの意味)お父さんはボサノバっちゅうのはよう分からんけど、4ビートがええわ。」と、正直な感想。そして、お母さんに変わる。

母「お母さんはねー、ベサメムーチョを知っちょったよ。あとは知らん曲じゃった。

お父さんがねー、のっちょった。のっちょった。」と、うれしそうな母。

”娘の音楽を聴いて、父がのった”、そこ、ポイント高いらしい。

もし、CDを聴きながら、父が寝た!ということになったら、、、。母ががっかりする。

「お父さんが寝たよ。あんたのCD聴きながら眠ってしもうた」と、テンション低く言うだろう。

前のアルバムのことはあまり言わなかったのは、寝たんでしょ??スローな曲が多かったから。アルバムタイトル(I’ll cloe my eyes)だし。(笑)

そして、母は

「写真がはっきりと、うつっちょるからええ!」と、喜んでいる。

音楽の感想というより、写真が一番気になるんだね。ああ、ジャケットのことね。ドアップだもんね。

いつも、下を向いたり、横を向いたりしてる写真が多かったからね。今回は正面だからね。両親サービスか?どれも写真が気に入ったと母。父と電話を変わる。

父「あののー、あんた、ほれ、あれに似ちょるじゃ、ほれ、あれあれ。女優の、ほれ、よう似ちょるいね。あれ。あれ。松嶋なんとかいうのが、おろう」と父。

「ああ、松嶋菜々子?昔は言われたことあるけど、もう言われんよ。」と、私。

そこへ、母に電話を変わる。

「いいや!(強い口調で)お父さん違うよ。あっちの方が似ちょる、松田聖子じゃ。

いいや、松田聖子も負かしちょる。」

ぶっ倒れそうになることをいう母だ。似てないし、、、。負かすとは????

本当に平和な家庭で育ったんだ。私。と思った瞬間だ。

私が、似てるのは、、、、、、

お父さんとお母さんだよ。年々似てくるよ。

( ̄∇ ̄;)

7/30リリース ディサフィナ―ド/鈴木輪

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鈴木輪(vo/cho)続木徹(p)⑥⑪以外,林正男(b)④⑥⑧⑨⑪~⑬,宇山満隆(ds)④⑥⑧⑨
⑪~⑬山崎洋一⑥⑪(p)上田隆志(b)①~③⑤⑦⑩⑭金子正則(ds)①~③⑤⑦⑩⑭

バチが当たるとはこういうことだ!

バチが当たるとはこういうことだ!と、思い知らされました。

やけどしました。

これは、バチだと思います。

先日、母親に文句を言いました。

母親はテレビを見ては、東京は買い物が大変だろう。と思うようで、たびたび荷物を送ってくる。

ありがたいことなのだが、、、、、。頻繁すぎる。

もうそんなに送ってこなくてもいい。と、前から言っている。

八百屋に行って、たくさん買ったばかりの日に同じものを送ったと、言うので、ついつい、文句を言った。それも大量のタケノコと、ホウレンソウや葉もの野菜。

そんなにどうやって、食べればいいの???

私「荷物を送る前に電話してと言ったのに。」

母「電話しても、出んじゃ」

私「すぐかけ直すじゃ」

母「それでも、、、食べるものがないから、困ってると思って、、、」

私「困ってない、困ってない。ティッシュもトイレットペーパーも買えるし、野菜も今、八百屋で買い物してきたばっかり」

母「それでも、、、、、喜ぶと思って、、、」

私「だからー、もう冷蔵庫にも入り切らないし、置き場もない。

気持ちだけ、いただく。ありがとう。(ちょっと投げやりのありがとうだ)」

*1週間前にも荷物が届いたばっかり。タケノコもまだ食べきれてない。

母「でも、東京は物がないって、テレビでいつも言ってるし、、、、」

私「テレビは大げさにワーワーワーワー言ってるの!」

母「せっかく送ったのに、いつも怒られる、、、」しょんぼり声

私「ありがとう。でも、間に合ってるから大丈夫」

、、、、。こんな感じ。

ちょっと言い過ぎたな。後味が悪い。

しかし、はっきりと言わないと、また来週もタケノコが届くかもしれない。

で、

バチが当たったというのは、

母から送られてきた大量のホウレンソウを茹でているときのこと、

第一弾のホウレンソウをザルにあけ、コンロの横のスペースに置いていた。

第二弾のホウレンソウがそろそろ茹で上がるので、第一弾のホウレンソウのザルを持って、お皿に移そうとした時に、、、、

ジューーーーっと、何かが焼けた音がした。

「あれ、何が焼けたのかなー?」と、思ったが、

ジュ―は、自分の指でした。(オーマイガッ!)

ザルがコンロの熱でめちゃくちゃ熱くなっていたのだー。

氷と、アロエとオロナインのおかげで、3日経った今日は、ブログが書けるほどに回復したが、昨日まではヤバかった。

このまま、ピアノも弾けないし、文字も打てないんじゃ?という気がした。

右の人差し指と親指です。

おはしは、まだ持てません。字が書けません。

包丁持てません。

これは、きっと、バチが当たったということです。

母親にあんな風な言い方をしたバチです。

そして、ホウレンソウにも、八つ当たりしました。

すべて自分の不注意です。

しかし、、、指も「ジュ―っ」と、なるんだね。

気をつけます。

反省しました!

80代の両親、義父母、93歳の叔母、、、元気でいて!!

久しぶりの更新となってしまいました。

世の中はコロナウィルスで大変なことになっていますが、プライベートも忙しかった。

私の実家(山口)と、義父母の住む高知へ行ったり来たり。

車で東京から四国へ。四国からフェリーで九州へ行き、山口へ。

高知から、山口へは瀬戸大橋までもどって行くか、しまなみ海道。

松山から柳井へフェリーというのもあるけど、今回は、八幡浜からフェリーで別府というコースにした。

別府で温泉に入る!という束の間の楽しみがなかったら、結構きつい旅でした。

山口では、施設にいる叔母のところへも寄る。

93歳の叔母。

頭もしっかりしていて、まだ株をやっている。

「仕事は大丈夫か?体は健康か?」と、聞かれ、

最後は「しっかり頑張りなさい。」

と、励まされる。(涙)

そして、「これが会うのは最後かもしれないよ」と、言われる。

「そんなこと言わないでよーー。」というと、イヒヒ、、と笑う叔母。

そんな鈴木家の親分(女だけど)ナオミ叔母である。

叔母と一緒に住んでいた。叔母は強い。色んな意味で、。

親分はナオミだと感じる。父より一回り年上だし、、。

実家にて、ご飯を食べながら、父が、力説したこと。

父「年を取ると「キョウヨウ」と「キョウイク」が必要なの。

今日の用事と、(略してキョウヨウ)と、今日行く所、(略してキョウイク)」

父、今日行くところは、畑。病院、友達のところ、叔母の施設、やる事がいっぱい。

母、家事、詩吟の練習、体力作り、アルバイト(笑)

二人で日記をつけている。何が書いているのやら、、、。

家はぐちゃぐちゃでもいいから、頼む。元気でいてくれ、、、、。

実家にまたマシーンが増えていた、スクワットマシーン(??)

母は変なものをよく買う。じゃまだな。と、父は思っているに違いない。

スクワットするのにマシーンはいらないと思った。

翌朝、もう一度、四国へ。

入院した義母を見舞う。

その後、大きい病院に転院する準備。

退院した後のことを相談しに、地域包括センターの方や、病院、保健婦さん、施設の相談員の方。色んな人に会う。

手続きなど出来ることは全部する。

ふぅーーーー。短期間に色々なことをしてきました。

今は、義母も大きい病院へ転院し落ち着いてくれました。

転院の日には日帰りで高知へ。

こういう時、実家が遠方だと本当に大変。と、感じる。

義父は元気です。

ちょっと耳が遠いけど、自分の世界を楽しんでいるよう。

畑もやっている。Ipadを使って調べ物をしたり、Youtubeを見たりしている。

ヘルパーさんは必要ないと言っているけど、大丈夫かな。

80代の両親、義父母、93歳の叔母。私の周りも高齢化しています。

そういう私も高齢化していますが、、、。

淡路島~高知~山口~宮島の旅!

1週間スタジオをお休みにして、車で淡路島、高知、山口、宮島と旅してきました。

目的は実家への帰省です。

おまけで、淡路島で一泊。良い温泉!満足しました。

鳴門大橋から四国へ入り、高知へ。

高知から山口へは今回は松山~柳井までのフェリーを使いました。

山口から東京へはノンストップで帰ってきました。

宮島へは実家(光)滞在中に出かけました。(光から電車で1時間20分で宮島口!最近は毎回の帰省で宮島弥山に登っている)

今回は仕事ではなく、完全プライベートなので、荷物も少ない。

でも、いつでも山に登れる支度はマスト。

パパっと、支度してササっと片付けて帰れるようになってきました。

ココちゃんの荷物もないから余計早かった。

前回までのワンコ連れの旅が思い出されましたが、もう楽しい事しか思い出しません。

ココちゃん。行ってきたよ。

じーじとばーば達も元気に頑張っていたよ。

海を見るとやっぱり落ち着く。松山からのフェリーで。

宮島、弥山に登ってきました。4、5回目の弥山登山。

そんなに高い山ではないけど、楽ちんとは思いません。やっぱり筋肉痛!

仁王門。

弥山で山鳥に遭遇!

山鳥に遭遇しました。珍しいそうです。50回登って1回見れたらいいそうです。ラッキー!

宮島のシカ。なごみます。目を細めて日向ぼっこ。足がびよーん。といい感じ。

こちらは、高知の義父が頑張る畑。結構広いです。

80代の両親達が元気なことがありがたいです。色々な事を感じた旅でした!

実家の畑の野菜たち!

実家から最後の畑の作品(野菜)が送られてきました。

最後の野菜、、。というのは父が体調が悪くなり、もう畑はやめてしまいます。

今年の夏頃より、父は腱板断裂になり、肩が痛く、おかしくなり、手がしびれたり、むくんで、指先が不自由になりました。関節もあちこち痛くなってきたようです。これではとても畑仕事出来ない‼と判断したようです。

土づくりから自分でやっていました。台所のバケツに野菜くずをためて、畑のコンポストに入れていました。変な形の野菜だけど、味はおいしかった!時々青虫くんがついて来ててびっくりしたけど。

畑は借りていたので、きれいにして返します。

柿、みかん、スダチ、キンカン、イチジク、、、、。畑に植えた木は切っちゃうのか。

小屋も壊すのか、、、。

なんだか、、、、ちょっぴり切ないな!

今回送られてきた最後の野菜たちを料理しました。

里芋ちっちゃい。皮をむくの大変。

だけどありがとう!

美味しかった。

「とっくりさん」と呼ばれた女

14日、誕生日を迎えました。

あー、そうなのね。来たのね。早いわね。

という感じで、特別に何をするというわけでもなく、普通に過ごしました。

父親から「生まれた日のことを思い出すよ。」というメールをもらい、そうそう。昔よく聞かされた話を思い出す。

私の誕生日は地元では大きなお祭り(普賢祭り)の日で、お祭りで親戚が集まるのでご馳走を作っておもてなしをするという習慣があります。

その普賢祭りのおもてなしの準備中、おばあちゃんが、「とっくり」を探していて、母に「とっくりはどこかね?」

と、聞いて、母がとっくりを探しているときに陣痛が来たという。

とっくりが見つかる前に、病院に行き、母が「とっくりは、とっくりは、、、、。」と、気にしながら私を産んだらしい。(笑)

だから、生まれたての私は、産婦人科の先生に「とっくりさん」というニックネームをつけられていたという話だ。

まあ、「こっくりさん」じゃなくて、本当に良かった。

ふぅ。

それにしても暑いです。夏ですね。

Rin Cafeのアイスコーヒー、今週はハンドドリップです。アイスカフェラテも美味しいよ。

今週も金、土、日はやりますよーーー♪

新しい看板出来て喜んでます。

るん。

kanbankame.jpg

明けましておめでとうございます

2018年もどうぞよろしくお願いします。

私事ですが、年末に母が骨折。

お歳暮を運んでる途中に、庭で転倒。

右手をやられました。

年末年始の忙しいときにケガをした母自身が一番ショックなようで、電話すると暗ーい声。

メールしても返事がないなぁー。と思ってたら、メールが打てなかったのです。

そして、父が奮闘中です。

頑張れ父。

40日間ギブスなので、ちょっと大変です。

ご飯作れるかな?

(私より上手かもしれないな。)

一度実家に帰らなくちゃ。

と思いながら、、、。

いつ帰れるか、、、、調整します。

本当に色々ありますね。

厄落とし。厄落とし。

ポジティブで今年も頑張ろうーー。

というわけです。

今年もどうぞよろしくお願いします。

Cafe Agora クリスマスライブパーティー♪

12月5日に、私の故郷の山口県光市の、市民ホールの中にある素敵なカフェでクリスマスライブをやらせていただきました。

グリーンがいっぱいの気持ちの良いスペースです。オープンして半年だそうです。

この日はなんと、ステージには私だけ。弾き語りです。頑張ろー!

クリスマスソングをいっぱいやりました。オリジナルの「ひかりのうた」も。

たくさんの方にお越しいただき、あっと言う間に楽しい時間は過ぎてゆきました。

メールで連絡事項をやり取りしてくれた、お店のスタッフ、大ちゃん。譜面を照らすライトを買いに行ってくれたり、、、。

ありがとうございました。そして、、、。

なんとー、私の息子と小学生時代の同級生で、びっくりぽんでした。