ハワイ旅の記録-クアロアランチ編その2

Hawai kualoa Ranch2

クアロアランチの続きです。ハリウッド映画の撮影やミュージックビデオや色々なドラマのロケ地になっているクアロア。広い。大きい。なんか出そう。

出ました。

ひぃー。

ジェラシックワールド2015年。このシーン覚えてます。

ちゃっかり、乗ってみました。

ギャー。と、やってみました。

プレスリーです。エルビスも美女に囲まれてウハウハですな。

ツアーは45分で終了。時間があるなー。のんびり。しかし、、、、暑い。

植物好きにはたまらんですな。外にいると暑いから、中に入ってランチ!

牧場にいた牛さんたち。ごめん。とっても美味しかった。

チャイナマンズハット(モコリイ島)が見えます。詳しく知るとちょっと怖い。

バスを待つ間に資料室でクアロアのお勉強です。何も知らないで来ちゃって、ごめんなさい。神聖な場所なんです。

(クアロアランチの歴史)

このクアロア牧場の歴史は1850年に始まります。当時、カメハメハ三世の相談役であったゲリット・D・ジュ―ドは622エーカーという広大な土地を1300ドルで譲り受けます。数年後には彼の息子がハキパウとカアアバの峡谷、漁業権、そしてモコリイ島を購入します。

その息子は娘婿のS・G・ワイルダーと共同でサトウキビの栽培をはじめるのです。彼らは溶岩とサンゴと砂からモルタルをつくり、オアフ島最初の精製工場をつくりました。サトウキビ産業全盛の頃です。すべてが順調に見えました。しかし、不幸が彼らを襲ったのです。1868年、ワイルダーの9歳の息子が煮えあがる砂糖の釜に落ちて死亡してしまうという事件がおきました。不幸は重なります。干ばつがクアロアを襲いました。サトウキビは壊滅状態におちいりました。

そして、1871年にサトウキビ工場は幕を閉じたのです。

1900年代に入り、クアロアは牧畜をはじめました。クアロア牧場の誕生です。しかし、クアロア牧場に暗い影が再び忍び寄ります。戦争です。第二次世界大戦中、牧場は軍の所有になりました。クアロアに沿岸防御用の基地がつくられました。戦後、牧場は再び持ち主の手にもどりました。

クアロア牧場の新しい出発です。70年代に入ると、乗馬施設がつくられます。そして、80年代には他のアクティビティーが加わり、オアフでも有名なアクティビティーセンターに変わっていたのです。

クアロア牧場のユニークな点は、農業、教育、自然保護、レクリエーションが深く結びついているところです。遊びながらも、自然のすばらしさを享受することができるのです。この自然との結びつきはこれから先、何世代にもわたって伝えられていくことでしょう。

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クアロアにまつわる18の話(ハワイ オアフ島) | ルックJTB オリオリハワイドットコム

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